昏れなずむ月のふぁんたずま!

怪奇・幻想関連の諸々

マーガレット・オリファント『薄闇の国』(Margaret Oliphant "The Land of Darkness")私訳その1

19世紀スコットランドの作家、マーガレット・オリファントによる中編"The Land of Darkness"を一年前に訳したのですが、初の翻訳ということもあり出来としてはひどい物でした。以降、いつかちゃんとした訳で出したいと思っていたので、修正・改訳しながら少しずつ上げていきます。ちなみに結構長いです。

概要

死後の世界に降り立った語り手が、そこで様々な酷い目に遭いながら、「地獄めぐり」をしてゆく物語。ダンテを意識した場面が随所に見受けられるが、ダンテの描いた地獄とは異なり、極めて現代的な地獄絵図であり、一見すると現実世界とまるで変わらない。その点ではディーノ・ブッツァーティの「現代の地獄への旅」と似ているかもしれない。誰もが自己本位で、他者を顧みず、他人を足蹴にしながら生活する「地獄」の様子は、死後の世界に関心を持ちながらも自らは実にリアリストであったオリファントの特徴が色濃く浮き出ているように思える。The Little Pilgrimシリーズの四作目にあたる作品だが、登場人物などが異なる独立した話で、The World Classics版"A Beleaguered City and Other Stories"やCanongate Classics"A Beleaguered City and Other Tales of the Seen and Unseen"のような短篇集にもそれぞれ単体で収録されている。初出はBlackwood's Magazine(1887)。なお、種本としてはThe World Classics版を使用した。

 

薄闇の国 The Land of Darkness

 気が付けば地に足がついていた。高所から物凄い速さで地面に落下したために、ズキズキとした痛みがあった。頭の中にも似たような感じがし、ダンテがゲリューオーン(※1)に乗って降下したときの描写さながら、空中を下方へ落ちる目の廻るような不快な感覚だった。奇妙にも私の心は、そんなことを考えるのに、あるいは少なくともその記憶が脳裏をさっとよぎるくらいには十分な余裕があったのだ。少し前まで意識にあった、驚嘆や、疑念や、恐怖といった疼きはことごとく消え去っていた。前後の状態の間にはっきりした隔たりはなく、落下(であったに違いないのだが)の最中にも変化はまるで感じなかった。渦を巻いた大気が私の落下に抵抗していたが、目も眩むような輪を描きながら足の下で道を譲ることとなった。それから今度は足の裏を固い、激しい衝撃が襲い、いまだに尾を引いていた。

 やがて頭の眩暈も足の疼きも収まると、辺りを見回して、自分の降り立った場所を見極められるような気がした。しかし、すべてが一望のもとにというわけではなく、まず、私のすぐ近辺の様子が——そしてその後、新天地の全貌が目に焼き付いた。

 なによりもまず光だ。雷雨がやってきているかのように薄気味悪い光だった。雨が降り出したのかと思わず上を見上げた。雨などは一切降っていなかったが、頭上には低く垂れこめた雲の天蓋が見え、暗く、荒れ模様で、微かに赤味がかった色彩がどんよりと靄がかった闇に発散していた。それでも、一切合切が見えるくらいには十分すぎるほど明るく、数多のものが目に入った。人気の多い都市のようなところの、通りの真ん中に私は立っていた。両脇には店が何軒も並び、ありとあらゆる高価な売り物であふれているようだった。通行人が道の両側を絶え間なく行き交い、通りの真ん中では質素なものから豪奢なものまで、あらゆる類の荷馬車が往来していた。激しい騒音が絶え間なく響き、道はごった返していた。

 店の何軒かはまばゆく灯りが点され、屋外の薄暗い明かりの中にいる人の眼を惹きつけていた。といっても、店の窓明かりがかすんで見えるくらいには昼の明かりが射していたのだが。このように目を引く場所のほとんどは、電気やら何やらの科学的な灯りで照らされているようだった。いくつかの窓の向こうには完璧の域に達したあらゆる類の精密機械が見え、さらには多くの素晴らしい芸術作品などもあったが、それらは唖然とするような仕方でけばけばしいものや下品なものと入り乱れていた。さらに驚愕したのは、一瞬たりとも滞ることない往来が、何らの規制もされていないようであったことだ。荷馬車が何台か、自分より小さい邪魔な車をひっくり返しながら道なりに駆け抜けた。思うに彼ら自身の良識のためか、この場所の法律や習慣のためであろうが、とにかく節度も秩序も皆無であった。事故が起こって大きな叫び声が上がり、ときどきものすごい衝突が起こることもあった——だが、誰もそれにかかずらおうとしないようだった。これが私の受けた最初の印象だった。舗道の通行人はみな同様に素知らぬ顔であった。

 私自身は、始めは片側へ、つづいてもう片側へと道を押しのけられ、ちょっと立ち止まれば急き立てられ、踏みつけられ、追いやられた。私はすぐに店の戸口に逃げ込んだ。そこからならいくらか安全に様子を見ることができた。騒音が頭を響かせていた。自分の頭の中の声すら聞こえないようだった。これが永遠に続こうものならすぐにでも気が狂ってしまうのではないかと思った。

「なんてこった」背後で誰かが言った。

「なんのことはない、じきに慣れるさ。そしてそいつをありがたがるだろうよ。自分の思考を聞きたいやつなんていねえ。そんなもの、ほとんどが聞く価値もないんだからな」

 振り返ると、声の主は店の主人だった。私の姿を見て戸口まで出てきたのだった。彼は商品を売り込もうとする人間が浮かべるお決まりの笑顔をしていたが、何やら理解不能な言い方でひとりごとを言っているのを見て、私は恐れ戦いた。

「なんという豸――豸愚か者! あの忌まわしい悪党どもがもう一人、豸――奴だ!」(※2)

 その間中、ずっと同じ笑みを浮かべていた。私は戻って行き、憤って応じた。

「私のことを豸――豸愚か者と呼ぶのはどういう意味だ。お前も、誰も彼もが愚か者だ。ここでは、そうやって他所から来た人を迎えるのか?」

「そうさ」同じ笑みで彼は言った。

「それがここのやり方さ。俺はお前さんをあるがままに言い表したにすぎない。お前もすぐに分かるだろうよ。入って店を見ていくか? 思うに、暮らしを始めようとしているんなら、きっと気に入るものが見つかるだろうよ」

 彼をじっと見たが、今回ばかりは彼がその口で言葉にした以上のことを言っているわけではなさそうだった。彼の後について店に入ったが、それも店内が通りよりも静かだったからにすぎず、何も買うつもりはなかった。それもそのはず、住居もない、おそらくただ通り過ぎるだけの見知らぬ土地で、何を買えというのだろう?

「ちょっと見てみるよ」

 恐らく過剰に見栄を張ってのことだと思うが、私は言った。

 私は決して裕福であったことも、上流階級であったこともない。しかし友人(あるいは敵対者)たちは、私には自身を実際よりもひとかどの者に見せようとする性向があるのだと思っていた。

「売り物を見てみるよ。もしかしたら目ぼしいものが見つかるかもしれない。でもパリやロンドンのアトリエから蒐集するということに関して、ほとんど期待できないのは、こんな場所じゃ——」

ここで私はひと息つくために言葉を切った。内心大いに狼狽えていた。というのも、自分がどこにいるのかも分からない、などと彼に悟られたくなかったのである。

「こんな場所は」嘲りに満ちたような笑いと共に店主は言った。

「良いものを提供してくれる、良いものが見つかる——他のどの場所よりもな。少なくとも、ここが唯一役に立つ場所だということがわかるだろう」

彼は付け加えた。

「他所者とお見受けするがね」

「ええと――それはそうかもしれない――まあ実際のところは。よく馴染むだけの時間がまるでなかったんだ、この――この場所に。何と――この場所は何と呼ばれているんだい?――つまり、正式な名称、という意味だが」

 情報において優位に立っているという雰囲気を保てればと思いつつ、私は言った。最初のあの瞬間を除き、人の表層の裏側まで覗き込むような、、私が恐れたあの異質な力は感じていなかった。もう一度探るような眼光が閃いたが、私はそれにさらなる警戒心を抱いた。彼の笑顔の下に、嫌悪と軽蔑の光が見えた気がしたのだ。そして彼は、私が装っていた雰囲気に少しも騙されていないようだった。

「この場所の名前はな」彼は言った「あんまり愉快な名前じゃねえ。店に来た紳士どもが言っているよ、そいつはお上品な耳に入れていい名称じゃない、とな。そしてお前さんの耳はよほどお上品だろう」

彼はこれまでにない侮蔑的な笑いと共にこう言った。私は彼に向き直って、気取った様子も見せず、私自身驚くほどの率直な話し方で答えた。だが彼には響かなかったようで、ただ再び笑っただけだった。

「いいのか」私は言った。「私がこの店を出て二度と来なくてもいいんだな?」

「まあまあ、暇つぶしにどうかね」

彼は言った。そしてそれ以上は何も言わず、趣向を凝らした立派な家具類を見せ始めた。私はこの手の物には常々目がなく、自分の家があればこのような物を買いたいと思い焦がれていたのだが、掌中に入ったことは決して無かった。今の私には家もなければ、私の知る限り支払う手段もなかったのだが、購入に関してはかなり気楽に感じていて、落ち着き払って価格を尋ねた。

「ちょうどこんなものが欲しかった。これらを買おう、と思っているのだが。まあ、取り置きにしてくれ。というのもなんだ、目下のところ、どうやら――」

「要するに、置く部屋がないんだろう」店主は言った。

「まずは家を手に入れないといけない、そういうことだ。もしそのつもりなら、簡単だ。気に入ったものが見つかるまで見て回って、そして――自分のものにする」

「自分のものにするだって」――驚きのあまり、憤りと驚愕がない交ぜになって、彼をじっと見つめた――「他人のものを?」私は言った。私は自分の表情に馬鹿げたところがあるとは意識していなかった。私は憤っていた。その精神状態には何も馬鹿馬鹿しいものは無かったが、店主は突然笑いの嵐を炸裂させた。彼は「棘が爆ぜる」(※3)という昔の表現を思わせる、愉快さも温かさもない不快な陽気さで、ほとんど痙攣を引き起こしそうになるまで笑った。その笑い声はあたり一面に反響した。見上げると、嘲りを満面に浮かべてにやにや笑っているいくつもの顔が、四方八方から私の方を向いていた。家の上の階へ通じる階段から、店の裏手の奥から――耳にペンをかけた顔が、作業帽をかぶった顔が、いずれも顔いっぱいに口を広げて、侮蔑と嘲りを浮かべて笑い声を轟かせ、そのせいで私は気が狂いそうだった。怒りと屈辱の発作のあまり耳を塞いで駆け出したとき、彼らにどんな罵声を投げつけたか分からない。この出来事に気が動転するあまり、私は飛び出し、通りすがりの人にそうと知らずに体当たりし、店を出る勢いのままに投げ倒した。そのせいで、彼の仲間と思われる六人組のごろつき共に襲われ、彼らに殺されるかと思った。しかし彼らは負傷し、出血し、身体の骨という骨が折れてしまったかのように感じていた私を石畳に投げ飛ばしただけだった——立ち去るとき、彼らもまた笑っていた。

 

※1ダンテ『新曲 地獄篇』第十七歌に登場する怪物。第七圏と第八圏の間を区切る絶壁を降りるため、ウェルギリウスが呼び出し、二人を乗せて旋回しながら下降する

※2原文は"What a d—d fool!"吃音とも解釈できるが、語り手を恐れ戦かせるような「理解不能な仕方」での独り言であり、また話者は他の部分では普通に発音しているので、吃音というよりは侮蔑の意味を含んだ独特な調子と解釈。侮蔑の意味とdの音を反映させようと、豸(チ、ヂなどと読み、けものを意味する)を嵌めてみた。

※3原文”cracking of thorns”:cracking of thorns under a pot(鉢植えの下で棘が爆ぜる)(馬鹿笑いという意味)という慣用表現がある

自己紹介がてら(今後の予定など)

はてブロは以前に少しだけやっていたのですが、長いこと野ざらしにしていたので(またIDが少し分かりづらいものだったので)これを機に改めて再建しました。


昏月鯉影(くらつき・こいかげ)というPNで文芸活動をしています。京都大学在学、京大SF・幻想文学研究会所属。大学ではドイツ文学を専攻し、ETAホフマンなどドイツ幻想文学やゴシック小説を研究対象としています。怪奇・幻想文学が主食です。現代のものよりは18-19世紀頃のものに惹かれる傾向があるかもしれません。高校生の頃にキング、ラヴクラフトなどいかにもなところから入ったのですが、ゴーゴリ等のロシア文学、ホフマンらドイツ文学など、いつしかヨーロッパの幻想文学に手を拡げていました。勿論、英米怪奇小説も好きです。
19世紀の英国怪奇小説は邦訳も紹介も沢山され、まさに宝庫という感じです。邦訳/未邦訳を問わず少しずつ掘っていけたらと思います。それだけでなく最近の興味としては、18-19世紀ドイツの恐怖小説を掘っていきたいなあと思っています。伝統的に、恐怖小説は通俗小説であるとしてあまり注目されていなかったようですね。近年になって徐々に再評価がなされているようです。

さて、このブログでは、読んだ本の紹介、評論、海外の怪奇幻想小説の翻訳などを上げていく所存です。できれば毎週更新していきたいところです。翻訳でも書評でも、日々コツコツと続けていくためのペースメイカ―としていけたらなという意図です。

 

これまでの活動は、以下の通りです。

 

・『現代SF小説ガイドブック 可能性の文学』池澤春奈監修 ele-king books

 牧野修・キジジョンスン・ジョーウォルトンの作家紹介寄稿。

※キジジョンスンの紹介ページは誤植により不自然に削れてしまっています。版元様のHPより正誤表をご参照ください。

www.ele-king.net

 

・同人誌『Buttered-Fly』創刊(編集、原稿、表紙デザイン)

 マーガレット・オリファント『図書館の窓』英日訳

 ディーノ・ブッツァーティ全レビュー(共同執筆:茂木英世)

butteredfly.booth.pm

 

また、今後の『Buttered-Fly』の活動予定は、以下の通りです。

・1月:京都文フリ

 軽めの新刊を出す予定です。何かしらの怪奇・幻想文学の翻訳と、書評を載せます。

 寄稿のご相談なども、お気軽にご連絡ください。

 

・5月:東京文フリ

 叢書「群像社ライブラリー」の全レビューを載せた新刊の予定です。

※なお、「群像社ライブラリー」全レビューでは、寄稿に協力して下さる方を探しています。昏月までご連絡頂ければ、詳細をご説明します。人手が足りていないので、ご興味のある方がいらっしゃいましたら、是非ご協力ください!

 

以上です。今後ともどうぞ宜しくお願いします。